研究活動

統一日報・経済フォーラム

『統一日報』フォーラム「東京測地系→世界測地系」掲載

日付 タイトル
⑰2011年01月13日 日本経済の再生と改革:TPP加盟と消費税引き上げの主張が忘れていること
⑯2010年10月04日 問われる企業の社会的倫理
⑮2010年06月16日 経済主義的思考を超えられるか: 社会的再生産の視点に転換
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⑭2010年03月10日 ギリシャの経済危機

ギリシャの経済危機
通貨安定と社会保障のジレンマ

巨額の財政赤字

 昨年末以来、ギリシャの経済危機がEUを揺さぶっており、ユーロ安と円高の進行が輸出拡大に依存する日本経済に悪影響をおよぼす可能性も否定できない。ギリシャの経済危機のきっかけは、政権交代によって生まれた中道左派政権が公表した巨額の財政赤字である。欧州単一通貨ユーロ圏に加盟するためには、財政赤字をGDP(国内総生産)の3%以内に抑えるというルールを守らねばならないが、歴代の政府は2001年のユーロ加盟から現在まで財政赤字の粉飾を続け、その累積赤字はGDPの12・7%にも達していた。ギリシャ国債の格付けが急落しただけではなく、同じようにGDPの3%を超える財政赤字を抱えるスペイン、ポルトガル、アイルランドに対しても市場の懸念と信用不安が広がっている。

 財政赤字の背景には、ユーロの導入によって経済不況と雇用危機の時期に自国通貨の切り下げによる輸出振興策を実施できなくなったことや、手厚い社会保障制度、基幹産業の海運業や観光業の停滞といった事情がある。EUレベルでの通貨の安定と加盟国レベルの政策対応余地、通貨安定と社会保障とのジレンマが見え隠れしている。

 「フィナンシャル・タイムズ」紙に掲載されたヴォルフガンク・ムンシャウ論文「ギリシャ経済危機の行方」によれば、ギリシャ危機の行方には、(1)EUの救済策をともなうデフォルト(債務不履行)、(2)EUが財政支援を拒むもとでのデフォルト実施、(3)EUの説得によるギリシャ政府単独での財政再建策、(4)ごまかしによる問題の先送り、といった4つのシナリオが考えられる。(1)はEUが結果的にギリシャに上から緊縮財政を強制することになり、ギリシャ国民の反発を招く、(2)は危機が同じような財政危機を抱えるポルトガルやスペインに波及する、(4)は長期的にみればいちばんリスクの大きなシナリオであるという理由で、(3)がEUや金融機関にとってもっとも望ましい筋書きである。ギリシャのパパンドレウ首相は2月14日に、社会保障費の一割削減、公務員数の削減、公務員給与の上昇凍結、金融機関のボーナスへの90%課税などによって2013年までに財政赤字をGDPの3%以内にするという財政再建策を発表した。

 ギリシャ政府は(3)のシナリオを選んだのである。2月16日にこの再建計画がEU財務相理事会で承認されたことを受け、ユーロ安に歯止めがかかった。しかし政府の財政再建計画に対して国民は激しく反発し、公務員が2月10日に一斉ストを実施した。同月24日にはギリシャ労働総同盟とギリシャ公務員連合がゼネストをおこない、全土で総人口の約4分の1に相当する250万人が参加した。これによってギリシャの社会的機能は完全に麻痺した。3月16日にも大規模なストライキとデモが予定されている。「政府は金融システムばかりを重視し、われわれの暮らしを無視している」というのが多くの国民の主張である。

経済危機の本質

 ギリシャの経済危機の本質の一つは、通貨は共通だが財政政策は域内各国の権限に委ねられているEU経済統合の本質的矛盾が露呈したという見方である。今回のギリシャ発の市場の不安と懸念の拡大を防ぐには、ユーロの安定に責任を持つ欧州中央銀行を中心に、ギリシャの財政支援を含めて域内各国が一つの政府のように結束して行動できるかが重要である。もう一つは、ギリシャの経済危機のなかに経済の自由化と民主主義との対立を捉える見方である。

 EUレベルでは単一市場と共通通貨のもとで経済の自由化と市場競争が展開されているが、加盟国レベルでは普通選挙によって国民が自分たちの要求を実現させる政権を選択することができるし、政権交代も可能である。ギリシャ国内には、対外的に通貨の安定に責任を持つ政府と政府による増税や社会保障費削減に反対する国民の民主的行動との対立がある。国民の民主的行動が経済危機をますます深刻化させる可能性がある。

 また、経済危機を打開するための政府の財政再建策が民主主義を抑制して推し進められることも否定できない。1930年代のヨーロッパのように、経済の危機と民主主義の危機が同時進行し、社会の存続が危うくなる事態もありうる。社会主義という競争相手がいなくなったとはいえ、市場社会が経済自由化と民主主義との対立(『大転換』の著者、カール・ポランニーの命題)を抱えていることを忘れてはならない。

⑬2010年01月13日 注目されるデンマーク

若森章孝経済コラム―注目されるデンマーク

対話式民主主義と労働者マインドの社会

北欧の小さくてきらりと光る国、デンマークがさまざまな角度から世界的な注目を浴びている。デンマークは九州とほぼ同じ面積に兵庫県とほぼ同じ人口が暮らす小国であるが、世界トップレベルの競争力(米国、スイスに次ぐ第3位)、EU第1の就業率(77・4%)、先進国で一番低い貧困率を構築している。

幸福度ランキング世界1位

 この国で働き生活する人びとが自国の経済や福祉の状態に高い満足を感じていることは、06年の2つの客観的な幸福度調査によって裏づけられた。ストックホルムに本部を置く調査機関「ワールド・バリューズ・サーベイ」は、幸福を測る尺度として生き方の自由と男女平等促進を用い、デンマークを幸福度ランキングの第1位に位置づけた。また、イギリスのレスター大学の研究者たちも教育機会や医療、生活水準などの指標によって世界52カ国を比較調査し、幸福度のもっとも高い国民はデンマークであるという結論に達している。しかし、幸福度世界一を支えているデンマークの社会経済システムも、その柱である※フレキシキュリティも、低い雇用保護(柔軟な労働市場)と手厚い失業給付(高水準の福祉国家)との組み合わせという点だけでは理解できない。経済のグローバル化のなかでどうして成長と福祉の両立は可能かという問いに答えるためには、少なくとも以下の2点を理解する必要がある。

 第一に、スウェーデンやドイツとの戦争によって領土を大きく失い小国に転落したデンマークは民主主義によって社会を豊かにできる経験を歴史的に積み重ねてきた。デンマークは世界経済の変化に構造変化を通じて自国経済のあり方を適応させることで競争力を維持してきた。構造変化は職や技能の喪失、産業と企業の淘汰というリスクを不可避的に伴う。デンマークは民主主義によって合意を形成しながら、試行錯誤で構造変化とリスク・シェアリングを推し進めてきた。ここでいう民主主義とは議会制民主主義や経済的民主主義ではなく、経済的社会的構造の大きな変化にともなうリスクを対話と交渉を通じて分かち合うという対話形式の民主主義である。

 第二に、デンマークの福祉国家は高い就業率と高い就労規範に立脚している。同一労働・同一賃金の原則が労使によって守られている。資格や技能訓練期間が同じ職種の間で格差が存在するとき、労組は格差是正を求めて経営者団体と交渉に入りしばしばストライキに訴えるが、世論はこれを容認する。こういったことは、デンマーク社会が働く人や働き方を尊重する労働者マインドの社会であって、消費者の過剰な利己主義が働く人の労働環境や賃金を引き下げる消費者マインドの社会とは質的に異なっていることを示している。高福祉高負担の福祉国家デンマークが、日本のように消費が労働に優越する社会とは対照的に、強い就労規範とディーセントな労働と結びついていることは興味深い。

デンマーク・モデルをヒントに

 デンマークの社会経済システムは対話形式の民主主義によって方向づけられ、労働者マインドの社会のなかに埋め込まれている。このようなデンマーク・モデルをヒントとして、本気で21世紀の日本型福祉国家ビジョンを構築することが日本の政治にはたしてできるであろうか。

※フレキシキュリティ=労働市場の柔軟性と労働者の雇用および所得保障とのバランスのよい組み合わせ。デンマークの社会経済システムの原動力の一つ。現在、日本に導入する可能性について、活発な議論が展開されつつある。

⑫2009年10月21日 ワークライフ・バランス

若森章孝コラム=「ワークライフ・バランス」
先進社会経済の新しい潮流

 ワークライフ・バランス(仕事と生活の調和を図ること)が先進諸国の経済と社会を元気にする政策として注目されている。国民の大多数をしめる賃金生活者が従来のように仕事オンリーではなく、生活時間のなかで、あるいは人生全体のなかで、仕事、子育て・介護、技能や資格を高める再教育を両立させることができるならば、そのような生き方の多様性は、職業能力の高い従業員を採用できる企業にとっても、少子化問題に悩む政府・自治体にとってもメリットになるだろう。

期待される解決策

 EU諸国や米国の取り組みに比べると遅きに失した感があるが、日本においても2007年12月に政労使の合意に基づいて「ワークライフ・バランス憲章」が策定され、ワークライフ・バランス社会に「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」という定義が与えられた。
 ワークライフ・バランスの定義は多様であり、国によって重点の置き所は違うが、ワークライフ・バランスは先進国が共通に直面する、グローバル競争と産業構造の高度化、少子高齢化による福祉国家の危機といった問題に対する解決策として期待されているのである。
 ワークライフ・バランスの本質を考えるうえで、このコンセプトが1980年代に米国で生まれたという事実が重要である。働く女性と女性管理職の増加が進むなかで、企業が生産性の高い優秀な人材を確保するために導入したファミリーフレンドリー施策(保育サービス)がワークライフ・バランスの始まりである。
 米国企業は1990年代の好況期のなかで、1990年代初期の不況時の大量リストラによって低下した従業員の忠誠心ややる気を回復させるために、子育て女性だけを対象にしていたファミリーフレンドリー施策を全従業員の仕事と生活との調和を確保する施策へと拡大することで、生産性の上昇(職業能力の高い人材の確保)に成功したと言われている。

フォード財団が果たした役割

 とくに、ワークライフ・バランスが多数の企業に普及するうえで、フォード財団によって研究開発された「仕事の再設計」(1993―1996年)の2段階プログラムが大きな役割を果たした。第1段階「既成概念の見直し」では「長時間労働は仕事熱心である」といった企業風土の改善が、第2段階「仕事の再設計」では個人単位ではなくチーム単位で「仕事の効率向上と私生活との共存」をサポートする柔軟な働き方(フレックスタイム、裁量労働制、短時間勤務の正社員、テレワークなどのフレックスワーク)や生活支援のための諸制度(保育サポート、有給休暇ストック制度など)が考案され実行に移された。
 要するに、米国のワークライフ・バランスとは、企業にとっての生産性上昇(経済の情報知識化とサービス化に適合した人材、とくに優秀な女性の確保)と労働者にとっての私生活と調和した働き方との妥協(取引)である。この妥協は、1914年のフォード社の1日5ドル制(流れ作業に従事する労働者に平均賃金の倍の高賃金を支払うことが決定された)を想起させる。

新しい波に乗り損ねる危惧

 フォード社は、生産性の上昇と労働者の購買力の上昇とをリンクさせることで、第2次世界大戦後の高度成長を実現したフォーディズムを先取りしたが、ワークライフ・バランスも仕事か子育てかのジレンマを抱える女性の欲求や働く人々のライフスタイル(価値観)の多様化と新しい生産性の源泉を求める企業の要求とをリンクさせることで、先進国における資本主義の新しい発展(男女の職業的能力の向上による労働生産性の上昇、競争と国際競争力の強化、共働き家族が必要とする福祉や教育の分野での新しい需要、雇用の増加、出生率の増加と人口規模の維持という好循環)につながる可能性をもっている。男性労働者の労働時間が先進国では異常に長く、労働市場に進出した女性が依然として育児家事の大半を引き受けている日本の現状は、ワークライフ・バランス的妥協から程遠いところにある。日本経済が資本主義発展の新しい波に乗り損ねることが危惧される。

⑪2009年08月26日 新自由主義の負の側面

若森章孝コラム=新自由主義の負の側面
ラテンアメリカの経験と政権選択

現実的になった政権交代

日本の8月30日の総選挙では、新自由主義政策の推進によってもたらされた貧困や雇用不安の拡大、医療や福祉の崩壊にいかに対応するかが大きな争点となっている。戦後64年を経過して初めて、政権の選択が実際に国民の意識にのぼり、政権交代も現実的なものになってきた。日本の現状を診断し将来の方向性を考えるうえで、西欧や北欧との比較が有効であることはいうまでもないが、新自由主義政策の評価とその負の側面の是正という点では、ラテンアメリカとの比較が重要な視点をあたえてくれる。
 ラテンアメリカでは21世紀になると2005年以後、ほとんどの国で左派政権が次々と誕生した。南米に限れば、16カ国のうちコロンビアを除くすべての国で左派政権が生まれた。また、メキシコ、コロンビアといった、左派政権の誕生にまでいたらなかった諸国でも左派勢力の躍進が目立っている。左派政権の成立の背景に、この地域の5億5000万人の人口のうち、約40%が貧困に苦しんでいるという事情がある。1990年代に世界銀行と各国政府によって経済回復政策として実施された規制緩和、民営化、外資の導入といった新自由主義政策は、ラテンアメリカに根深く存在する貧困問題をいっそう深刻化させ、格差社会を作り出すことで、民衆の期待を裏切ったのである。いまや貧困への取り組みは、追いつめられた右派勢力にとっても再浮上のための避けられない課題となっている。

ラテンアメリカとの比較

 各国の左派政権はいずれも貧困層への社会政策を最優先課題として取り組んでいるが、その政策は二つに大別される。ベネズエラのチャベス政権、ボリビアのモラレス政権、エクアドルのコレア政権、アルゼンチンのクリスティーナ政権は急進左派路線をとり、新自由主義政策を強く非難し、市場経済への国家の介入と民営化された企業の再国有化を実施しながら、貧困や教育の面における再分配政策を推し進めている。
 他方、ブラジルのルラ政権、チリのラゴス政権とバチェレ政権、ペルーのガルシア政権、コスタリカのアリアス政権は穏健左派路線をとり、新自由主義的経済運営を維持しながら貧困対策に取り組んでいる。要するに、ラテンアメリカの左派政権は、ベネズエラのチャベス政権のような、反米・反自由化でポピュリズム(民衆迎合的主義)的な左派政権と、ブラジルのルラ政権のような、新自由主義と親和性をもつ効率的な経済運営と貧困層への社会政策を両立させようとする中道左派政権とがある。右派勢力は本気で貧困問題に取り組まないかぎり、左翼勢力からの政権奪還は当面期待できない状況である。
 このような相次ぐ左派政権誕生の根底にあるのは、ラテンアメリカの歴史において初めて、今まで弱者とされてきた人びとが政治的発言権を獲得し、国家権力にたいして大きな影響力をもつようになったことである。そして、弱者の政治的発言権を育んでいるのが、貧困問題や教育問題、地域の再生に自発的に取り組む市民社会諸組織の運動である。
 篠田武司・宇佐見耕一編『安心社会を創る』(新評論)は、このような「ラテンアメリカ市民社会の挑戦」の実例を紹介している。例えば、住民自身が市の予算の審議・決定・実施のプロセスに参加する、ブラジルのポルトアレグレの試みや地域通貨の発行によって地域の連帯経済を創出しようとするアルゼンチンで始まった運動(交換クラブ)が注目される。

新しい社会経済めざす挑戦

 以上のように、ラテンアメリカでは新自由主義政策がもたらした否定的影響がいち早く認識され、その是正と新しい社会経済をめざす挑戦が日本よりも早く始まっている。このようなラテンアメリカの経験は、1990年代以降の新自由主義政策の徹底化(いわゆる「遅れてきた新自由主義」)によって格差社会を作り出した日本の政権選択にいくつかの示唆をあたえていると思われる。日本の国民は、新自由主義と親和的な経済運営と貧困・雇用対策を両立させる中道左派を選択するだろうか。それとも、新自由主義に批判的で再分配政策を重視するより左派的な路線を選ぶだろうか。日本の保守勢力は政権を維持するために本当に貧困対策を実行する覚悟をもっているのだろうか。
(関西大学教授)

⑩2009年07月08日 社会的企業とビッグイッシューの試み

若森章孝コラム=社会的企業とビッグイッシューの試み
問われる企業の社会的責任

注目される社会的企業

 最近注目されるホームレス(路上生活者)の仕事を作り自立を支援する、大阪発の社会的企業、ビッグイシュー日本を、ご存知でしょうか。6月15日発行の「ビッグイシュー日本語版」は表紙を笑福亭鶴瓶の笑顔で飾り、僻地の医師不足という深刻な社会問題を扱った映画「ディア・ドクター」に主演した鶴瓶へのスペシャルインタビューを巻頭に組んでいる。同誌は多数の写真、インタービュー、原稿をすべて無償の協力によって集めているが、編集とデザインにはプロが携わり、「若者の視点から社会問題を見る」というコンセプトで毎号特集が組まれている。「ホームレス人生相談」などの連載も好評で、読者の69%は女性、買った人のほとんどが約35ページの同誌を終わりまで読んでしまうようだ。
 ビッグイシュー日本は、ジョン・バードによって91年にロンドンで創設されたビッグイシューの試みを手本として、03年に佐野章二と水越洋子を代表にホームレスが最も多い大阪で設立された。03年の厚生労働省の調査によれば、日本のホームレスの人数は2万5296人で、一番多い大阪府には7757人が暮らす。佐野たちは社会的必要性を訴えて広く資金を集めやすいNPO(非営利団体)ではなく、市場で成果が問われる有限会社を設立し、「売れる雑誌」を作って販売の仕事を創出することでホームレスの自立を支援するビジネスモデルを選択した。同社の立ち上げには、出版不況や若者の活字離れ、ホームレスの労働意欲の不足や路上での雑誌販売の規制など7つの壁が立ちはだかっていたが、この壁をリピーターを獲得するための紙面作りに努めながら乗り越えてきた。同社が潰れないで活動していることは、私益と国益の強い日本でも市民的活動と社会的企業が根づいてきたことを示している。
 佐野によれば、(1)仕事を提供することで「仕事なし↓収入なし↓家なし↓支援の絆なし↓ホームレス」という悪循環を断つ、(2)救済ではなく自立を応援するというビジネス、(3)ビジネスパートナーとしてのホームレス、という3つのアイディアに基づいて活動している。まず、自立したいと考えているホームレスに1冊300円のビッグイシュー10冊が無料で提供される。この販売で得た3000円が元手になる。以後、同誌を1冊売るごとに、300円のうち160円が販売者の収入になる。ホームレスは1冊140円で仕入れて300円で販売する。1日の売り上げが30冊あれば、4800円の収入(販売日数を20日とすれば、生活保護に近い約10万円の月収)が得られ、畳の上で暮らしたいという希望を仕事によって実現することができる。同社は路上の「生きた書店」であるホームレスを対等なビジネスパートナーに位置付け、販売の仕事の創出によりホームレスの自立を支援しているのである。

新たなビジネスモデル

 ビッグイシューにみられるように、日本でも育ちつつある社会的企業は収益性と公共性を両立させる新たなビジネスモデルを考案することで、市場経済の内部に資本主義を相対化する軸を作っていく可能性を示している。社会的企業が持続的に広がっていけば、営利第一の資本主義的企業も貧困や格差、環境保護といった社会問題に対する責任を引き受けざるをえなくなるだろう。
(関西大学教授)

[社会的企業] 新しいビジネスモデルを用いて、環境、福祉、教育などの社会問題に取り組む事業体。このモデルは、従来何らかの理由で市場から排除された社会集団を新たな市場に参加する機会を増やしている。

⑨2009年05月13日 EUの労働市場改革

若森章孝経済コラム=EUの労働市場改革

すべての労働者に継続的職業訓練
人間的資本が急速に陳腐化

 グローバル競争は、先進国の多くの人びとにとって雇用(労働市場)、技能形成、所得の源泉であった内部労働市場(企業の長期雇用を前提とした技能訓練にもとづく職の移動)を侵食し、長期雇用の漸次的縮小と、パートや派遣などの柔軟な雇用形態の拡大をもたらしている。急速な技術変化をともなう知識基盤型経済の進展は、人びとの人間的資本(技能や資格や知識)をかつてないテンポで陳腐化させている。柔軟な雇用形態の拡大や技能の急速な陳腐化は、技能や雇用や所得に関する新しいタイプのリスクを生み出し、とくに学歴や技能の低い労働者層を周辺的状況に追い込んでいる。人間的資本の劣化という新しいリスクに対応するには、人びとが必要に応じて労働市場から一時的に退出して再教育や職業訓練のための時間を確保し、就労可能性(エンプロイアビリティ)を維持・向上させることが必要だが、ライフコースにおける労働市場からの退出は労働者にとって所得の減少や雇用喪失のリスクをともなっている。労働市場からの退出によるリスクは、失業や疾病、高齢化などのリスクを対象とした従来の社会保障制度ではカバーできないものであり、労働市場改革と連携した社会保障改革が焦眉の課題になっている。
 EU加盟国の労働市場改革と社会保障制度改革に大きな影響をあたえている移動労働市場アプローチは、雇用と失業の領域に教育、私的家族生活、退職の3領域を加えた5つの政策領域からなる動態的労働市場を構想する。5つの領域はお互いにつながっているが、最も重要なのは教育の領域である。ここでの教育は学校教育だけではなく、人間的資本の劣化という生涯的リスクにさらされている、5領域のすべての成人を対象にした継続的職業訓練である。労働市場領域の低技能労働者とパートタイム労働者、若者失業者と長期失業者、加齢によって就労可能性を低減させている人びとに対する、再教育と職業訓練の必要性がとりわけ指摘される。職業訓練投資によって成人の就労可能性を向上させることがライフコースにおける人びとのリスク処理能力を保障するとともに、労働市場の動態を高めると想定されている。人びとは解雇など外的強制によって、あるいは、各人の必要に応じて、5つの領域の間(教育と雇用、パート雇用とフルタイム雇用、家族と雇用、失業と雇用、雇用と退職)を双方向的に移動するが、この移動にともなうリスクはそれぞれに見合った5つの橋(安全網)、具体的には所得保障、就労可能性維持支援、保育やデイケアなどの公共サービスによってカバーされねばならない。

日本での制度化必要

 移動労働市場アプローチは、日本の労働市場改革にとって決定的に重要な政策要素が失業者だけでなく、すべての労働者を対象とする職業訓練であることを示唆している。政府には低技能労働者や非正規雇用労働者のための職業訓練基金を設置する責任があるし、労使は交渉によって各産業部門に継続的技能訓練の仕組みを制度化する必要がある。企業は政府や地方政府、経営者団体や労組と連携して、人間的資本を維持・管理する社会的責任を引き受けるように要請されている。移動にともなう安全網が保障されるという条件のもとであるが、グローバル競争と知識基盤型経済の進展のもとでは、労働者も自分自身の就労可能性に投資する存在になることが期待される。
(関西大学教授)

 移動労働市場アプローチとは 1995年にベルリン社会科学研究センターのギュンター・シュミットによって初めて主張された。シュミットは失業保険制度のようにリスクを事後的にカバーする社会政策からリスクを事前に社会的に管理するシステムへの転換を強調した。

⑧2009年02月18日 北欧モデルと日本の構造改革

若森章孝コラム=北欧モデルと日本の構造改革

雇用と社会保障つなげる仕組み

 米国発の金融危機と世界同時不況が、新自由主義的構造改革によって作りだされた格差社会を襲っている。日本の社会経済は金融主導型の米国的成長モデルの破綻によって改革目標を失ってしまったが、高生産性を有する大企業における長期雇用と公共事業による中小零細企業における雇用確保という新自由主義改革以前の体制に戻ることもできなくなっている。日本の政治と経済にとって、北欧モデルが残された危機打破のシナリオとして議論されている。

残されたシナリオ

 北欧の社会経済は、T・アンデルセン他著『北欧モデル』(07)が指摘するように、高福祉が国際競争力の向上につながる仕組みをもっている。北欧諸国は製品市場や金融市場の規制が少ない、強い外的競争圧力という制約のもとで、衰退産業から成長産業への転換を遂行することで国際競争力を構築してきた。開かれた経済において競争力を維持するための経済政策は、衰退産業の淘汰や労働者の技能の陳腐化、失業の増大、賃金格差や地域間格差の拡大などをともなう。積極的労働市場政策と手厚い社会保障制度を連結させた北欧の福祉国家は、リスクやコストを社会的に分かち合う仕組みでもある。
 個別企業の利潤率に関わりなく、企業や業種を越えて職種ごとに決定される賃金格差の少ない連帯賃金政策は、たんに労働者間の平等を目的にしているのではなく、衰退産業を淘汰し、資本と労働者を競争力の高い成長産業に移動させる政策でもある。手厚い社会保障を維持する一方で、失業者の早期の就職のための個人別行動計画の作成や資格と技能を向上させる職業訓練、長期失業者を雇用する企業への助成金等の積極的労働市場政策は、開かれた経済において衰退産業から成長産業への転換を遂行することで競争力を構築するというマクロ的経済政策と見事に照応している。リスクを社会的に分かち合う高福祉の仕組みは、国際競争力を確保するように生産要素を移動させるマクロ経済政策に対する国民の政治的支持を生み出している。

リスクを分かち合う

 構造改革までの日本の社会経済システムは、宮本太郎『福祉政治』(08)が指摘するように、高生産性部門の民間大企業の強化と低生産性部門の中小零細企業の保護を同時に追求し、国民に高水準の雇用を保障した。日本では高水準の雇用保障が、所得の再分配による社会保障支出の低水準と結びついている。高生産性部門と低生産性部門がスウェーデンのように公共的福祉理念や労働市場政策によって調整され、つなげられることはなかった。雇用保障や社会保障に関して、両部門が異なった制度で分断された結果、日本の福祉のあり方をめぐる公共的討論は進展することなく、日本の社会経済システムは「分断の政治」を超えることができないままでいる。公共事業費削減によって低生産性部門を切り捨て、高生産性部門の国際競争力向上を目指した小泉新自由主義改革は、両部門間の利害対立を深刻化させ、不信と分断をかつてないほどに拡大している。高生産性部門と低生産性部門を仕切りによって分断するのではなく、両部門をグローバル化のリスクの分かち合いによってつなげることが、競争力構築のための経済政策に対する国民の政治的支持を生み出すうえで重要であることを、北欧モデルは示唆している。
(関西大学教授)

 北欧型社会経済モデルとは= グローバル経済のなかで競争力と高度の福祉を両立させているモデルとして注目されている。開放経済のマクロ経済政策、リスクの分かち合い(社会保障=労働市場政策)、経済政策に対する政治的支持=政治への信頼という好循環のトライアングルから構成されているという。

⑦2008年11月19日 EUの国際連帯税

若森章孝経済コラム「EUの国際連帯税」

好評連載 「金融資本主義の暴走を規制」

 金融資本主義が社会を壊しながら暴走してきた。政府もIMFなどの国際機関も、経営者もエコノミストも、「市場の声」には積極的に対応してきたが、「社会の声」には耳を貸そうとはしなかった。ここでの社会は市場での売買や取引に関る人々という意味ではなく、世界人口の大多数を占める、先進国の普通の人々や発展途上国の民衆の日々の暮らしとその安全・安心のことである。サブプライムローン問題をきっかけに急浮上した金融資本主義の破綻状況に直面して、投機マネー(短期の過剰流動資金)の暴走を規制するとともに途上国の貧困や低開発の問題のための資金を調達する仕組みとして、国際連帯税が注目を集めている。

関心高まる国際連帯税

 国際連帯税としては、金融取引税、環境税(炭素税、航空輸送税、海上輸送税)、多国籍企業税、武器取引税などが提唱されている。日本においても、超党派の「国際連帯税創設を求める議員連盟」が2008年2月に発足するなど、国際連帯税に対する関心が高まってきている。
 国際連帯税の中ですでに実施されているのは航空券連帯税である。2006年7月にフランス政府が最初に導入して以来、すでにドイツ、スペイン、ガボン、韓国など9カ国が実施しており、28カ国が導入を表明している。フランスの航空券連帯税は十分に豊かな人としてみなされる飛行機利用者に対する累進課税であって、エコノミークラスには1ユーロ(125円)、ビジネスクラスには10ユーロ(1250円)の税が課せられている。航空券連帯税の税収は、HIV・エイズ、マラリア、結核の医薬品を貧しい人々が低価格で購買できるように利用されている。
 金融資本の暴走に直接歯止めをかけるという点では、金融取引税が重要である。今日の世界経済は金融主導型経済であって、世界の実体経済の規模(30兆ドル、約3000兆円)を大きく上回る規模の金融資本(80兆ドル、約8000兆円)が経済活動を方向づけている。世界の外為市場での年間通貨取引も約800兆ドルにのぼり、実体経済の20倍以上の額になっている。投機マネーは商品市場にも侵入し、穀物や原油など資源価格を急上昇させ、実体経済や人々の暮らしを脅かしている。アフリカを中心に14億人以上が1日1・25ドル以下の極貧状態に置かれている。

EUで通貨取引税

 金融取引税は、1972年にノーベル経済学者トービンが投機目的の短期的な国際通貨取引を抑制するために提唱したトービン税にまでさかのぼるが、最近では、本年5月に来日したソニー・カプールを制度設計者とする開発資金のための通貨取引税(CTDL)の論議がEUを中心に活発に行われている。CTDLは、現在課税対象外にある膨大な通貨取引に0・005%の超低率の税を課すことで、年間330億ドル(3兆3000万円)以上の税収が見込まれ、「金融市場へのわずかな課税で世界の貧困が解決する」制度として期待されている。超低率のCTDLは金融市場に大きな影響を及ぼすものではないが、新自由主義による金融主導型のカジノ経済のあり方に警鐘を鳴らす意味をもっている。

 国連やEUを舞台に論議されている国際連帯税は、金融資本の暴走を規制するとともに、市場の声と社会の声を調整する革新的制度として実現されていく可能性をもっている。
(関西大学教授)

⑥2008年09月17日 埋め込まれた新自由主義

埋め込まれた新自由主義

EU経済統合のキーワード―社会的結束を破壊せず取り込む

埋め込まれた新自由主義(ネオリベラリズム)という概念がEU経済統合の現段階を理解するためのキーワードとなっている。この概念は、経済のグローバル化に適応する競争力の構築という課題に直面するアジア諸国における政府、経営者団体、労組、政党、市民団体にとっても参考になると思われる。

ラギーの「埋め込まれた自由主義」

 新自由主義は、自由化、規制緩和、民営化といった経済的自由主義によって競争力の向上をめざす政策的主張であり、今日、各国政府、WTO(世界貿易機関)やIMFなどの国際機関、多国籍企業によって支持されている支配的な経済思想である。イギリスのサッチャー政権(1979―1990)やアメリカのレーガン政権(1981―1989)によって新自由主義が実行に移される前の時代(1945~1970年代中頃)は、国際的な自由貿易体制と国内的な雇用保護や福祉国家とが共存する時代であって、アメリカの国際政治学者ラギーはこの共存を「埋め込まれた自由主義」と呼んでいる。埋め込まれた自由主義のもとで、先進国はフォーディズム(大量生産と大量消費が連結した経済システム)によって長期的な高成長と福祉国家を実現した。

 フォーディズムの経済思想(制度や国家による市場経済の調整)に代わって登場した新自由主義の特徴は、市場経済をそれが埋め込まれている規制や社会的制度から離脱させ、市場経済における自由競争に企業や労働者を適応させることによって競争力を高める経済戦略をとることである。その結果、一方では、株主価値の最大化を求めて暴走する金融資本主義が、他方では、大きな格差や多数の低賃金労働者(ワーキングプア)が生み出された。雇用や福祉といった社会的結束の中心的要素を破壊する新自由主義がアメリカやイギリスでどのように社会的同意を獲得するに至ったかについては、ハーヴェイ『新自由主義』(渡辺治監訳、作品社)を参照していただきたい。

新自由主義のヨーロッパ的有り様

 EU経済統合のプロセスにおいて興味深いのは、単一市場におけるモノ、マネー、サービス、人の自由な移動によって競争力の向上をめざす新自由主義的戦略が労働市場において柔軟性と労働者の安定の両立をめざす欧州雇用戦略やEU諸地域間(268地域)における雇用や所得面での格差是正をめざす欧州地域政策の展開をともなっていることである。言い換えれば、社会的結束(社会福祉)や公正、生存権といった諸価値が市民と地域に根づいているEUでは、新自由主義は社会的結束の中心的要素を破壊するのではなく、それを新しい形態で取り込むことによって、社会的同意を獲得することができたのである。ファン・アペルドーンはこのようなヨーロッパ的新自由主義の有り様を「埋め込まれた新自由主義」と呼んでいる。埋め込まれた新自由主義は埋め込まれた自由主義への復帰ではない。

 総選挙前夜にある日本の政局では、弱者や地方にグローバル化への適応コストを負担させることで大企業の競争力を回復させた小泉政権(2001~2006)の新自由主義の見直しか、継承かが争点になっている。新自由主義の見直しを図る場合、欧州の経験から生まれた「埋め込まれた新自由主義」という概念は大いに役立つと思われる。
(関西大学教授)

⑤2008年06月25日 アイルランドの否決

アイルランドの否決

リスボン条約の試練

 6月13日に開票されたアイルランドの国民投票は、EU基本条約「リスボン条約」の批准を否決し、EUの指導部および加盟各国に衝撃をあたえた。人口400万の小国がEU(域内人口5億人)の政治的一体性(政治統合)の強化をもくろむ機構改革に待ったをかけたのである。

26カ国の対応に注目

 EUは19日からブリュッセルで開く首脳会議で善後策を協議するが、2つの対応策が考えられる。一つは、リスボン条約を微修正してもう一度アイルランドに国民投票を要請する方法である。もう一つは、条約案を全面改訂し全27加盟国の批准手続きを再びおこなう道である。
 EU基本条約は、2005年にフランスとオランダの国民投票で否決された欧州憲法条約に代わるものとして、昨年の10月にリスボンで開催された欧州理事会で承認された。基本条約はEUの国家性を誇示する「憲法」という表現を避けているが、基本的には欧州憲法条約の趣旨を継承するものであって、EUをより効率的で強い超国家的機構にする内容から成っている。
 基本条約の発効には、全27加盟国における批准が必要であるが、自国の憲法規定で国民投票にかけねばならないのはアイルランドだけであって、他の26カ国は議会によって批准をおこなう。すでに18カ国が議会承認の形で批准を済ませているが、アイルランドの否決によって基本条約の来年1月の発効は難しくなった。しかし、欧州委員会のバローゾ委員長や、ドイツやフランスなどの首脳は批准プロセスの続行を期待し、今年末までに26カ国の批准を済ませ、アイルランドに政治的圧力をかける構えである。

問われる「社会政策の赤字」

 では、EUの統合推進派は基本条約によってEUの政治的統合を整えながら、どのような戦略目標を実現しようとしているのであろうか。バローゾ委員長は次のように述べている。「21世紀におけるEUの存在意義は明瞭である。欧州をグローバル化した世界に対応できるようにすることである。そのためには、人材、成長、雇用、エネルギーの安全保障、気候変動への対策……に投資していかなければならない。……課題となるのは、保護主義に陥ることなく、いかに自国・地域を守っていくかである」(EUNews133/2007)。EUは投資による競争力育成(改訂リスボン戦略)によって欧州地域をグローバル化した世界に対応できるようにする目標を掲げているのである。
アイルランドの国民投票によるEU基本条約の否決が衝撃的なのは、域内で唯一の民意の表明がEUの統合推進派の行動と目標に疑問を提起しているからである。民意は経済統合の推進が、医療や年金、雇用保護、教育といった社会政策面における後退をともなっていることを危惧しているのである。庄司克宏が的確に指摘しているように、2005年の欧州憲法条約拒否の直接的な理由は、民意がEUの決定に反映されないという「民主主義の赤字」よりも規制撤廃型の市場統合が作り出した「社会政策の赤字」にあった(「リスボン条約とEUの課題」『世界』08年3月号)。民意は今回の基本条約に社会政策の赤字の克服を期待したはずである。アイルランドにおける基本条約の否決は、欧州をグローバル化した世界に対応できるようにする投資戦略が社会政策の赤字をますます拡大することに対する民衆の不安を表明しているように思われる。
(関西大学教授・若森章孝)

 リスボン条約 正式名称は「欧州連合条約および欧州共同体設立条約を修正する条約」。この条約は、既存の欧州連合条約の修正と2000年に発布された欧州連合基本権憲章に法的拘束力を与えている。「改革条約」とも呼ぶ。

④2008年05月14日 生物多様性条約

生物多様性条約

生態系サービスを支える取り組み

 毎年5月22日は、生物多様性条約の発効を記念して制定された「国際生物多様性の日」である。2年おきに開催される生物多様性条約締約国会議は、第九回会議が5月19日からドイツのボンで開かれるが、2010年には第十回会議が名古屋市で開催される。国連は2010年を「国際生物多様性年」と定め、この年までに生物多様性の劣化速度を顕著に減少させることを目標に掲げている。

暮らしの豊かさの拠り所

 生物多様性がなぜ重要であるかと言えば、私たちの暮らしの豊かさが生物多様性の機能である生態系サービスに大きく依存しているからである。世界から1360人の専門家が参加した生態系に関する世界的な調査「国連ミレニアム生態系評価」(2005年3月)によれば、高度経済成長や過剰消費、人口増加などによる過去50年間の生態系の改変によって、生態系サービスの70%が下降線をたどっている。評価は24項目について生態系サービスの変化を調査しているが、サービスが向上したのは穀物、水産養殖、家畜などの4項目だけであって、野生動物種、水の浄化と廃棄物の処理、大気質の調節などの15項目でサービスは大きく低下している。生態系サービスの低下は人類の福祉を構成する諸要素に深刻な影響を与えている。
 生物多様性の劣化と生態系サービスの低下の原因を作っているのは食物連鎖の頂点にいる人間自身の活動である。65億人を超えた人類は生態系サービスのバランスのよい利用の仕組みを考案しなければならない。生物多様性を保全する国際的な取り組みは、水鳥の生息地として重要な湿地を保全するラムサール条約の採択(1971年)に始まり、1992年にリオで開催された国連環境開発会議で採択された生物多様性条約に従って本格的に実行されるようになった。条約の画期的意義は、多様な生物をその生息地ともに保全することにくわえて、その持続可能な利用を目的として掲げていることである。07年現在、条約の締約国は190カ国に達しているが、アメリカは依然として不参加である。

多国籍企業も無視できない

 競争力と環境保護を調和させる社会経済モデルを目指しているEUは、京都議定書に従って温室効果ガスの削減に取り組むとともに、生物多様性を保全する国連の枠組みと提唱に従って、2010年までに加速化する種の減少を阻止する行動計画を展開している。欧州議会は2007年に、欧州委員会が前年に公表した報告書「2010年までに生物多様性の喪失を阻止し、さらにその先へ。人類の福祉のための生態系サービスを支える」を採択した。
 生物多様性の保全は多国籍企業にとっても無視できない課題になりつつある。石油・ガス開発、農林水、食品のみならず、製薬、化粧品、海運、航空などの産業も生態系の多様性と深く関連している。投資を通じたつながりまで考慮すれば、金融業も生物多様性と関連する。IUCN(国際自然保護連盟)が作成した『ビジネスと生物多様性』によれば、多国籍企業が生物多様性への取り組みに失敗すると、途上国政府からの操業許可の取り消し、不買運動、ブランドイメージの悪化、従業員の士気低下などのリスクが生じる。日本や韓国の企業も、CSR(企業の社会的責任)の一環として生物多様性の問題に取り組み始めている。
(関西大学教授・若森章孝)

生物多様性の劣化 種の多様性の急激な喪失、遺伝子多様性の減少、生態系の多様性の衰退が進行しつつある状態を指している。次の世紀までに、鳥類の12%、哺乳類の25%、両生類の32%が絶滅するであろうと予測されている。

③2008年04月09日 EU地域政策の経験

EU地域政策の経験

日本、韓国、中国に高まる関心

 近年、日本、韓国、中国においてEU経済統合への関心が、政財界や学会での活発な東アジア共同体論議を背景にして高まっている。東アジアの域内貿易や域内投資の急速な進展による事実上の機能的統合が、共通の価値と制度的統合に基づくEUのような共同体につながるのではないかという期待も生まれている。現在の東アジアの域内貿易依存度は80年代半ばのEU水準に達している。東アジアは制度的統合を必要とする段階を迎えている。EU経済統合の経験は東アジアの経済協力と統合に大きな示唆を与えるだろう。

「地域のヨーロッパ」という視点

 EUにあって東アジアにないものは多数あるが、注目すべきはEUという国民国家を超える超国家的次元と並んで、国境を越えた地域政策と「地域のヨーロッパ」という視点が存在することである。国境を越えた地域政策を含むEUの地域政策は07年度から再分配的な政策から地域競争力の向上をめざしてイノベーションと技能教育に多く投資する供給サイドの政策へ転換し始めている。
 EUの地域政策は、EUの拡大と経済統合の深化にともなう格差の拡大を是正するための結束政策として発展してきた。EUの地域政策の骨格を定めた88年の構造改革では、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの加盟による地域格差の拡大と域内市場統合の完成によって生じると想定される経済的社会的不均衡に対応するために、EUが構造基金の配分方法を通じて一国内部の地域格差の問題に介入する道が開かれるとともに、欧州委員会の主導で国境を越えた地域政策を実行できる予算項目インターレグ(越境地域間協力)が導入された。その結果、EUの地域政策は、コーディネーターとしての欧州委員会、加盟国中央政府、下位地域(地方政府、地方自治体)の三層による多層的統治によって実施されている。

国境を越えた地域が発展の拠点

 インターレグは90年に開始され、I期(90―93年)、II期(94―99年)、III期(00―06年)として実施され、現在はIV期(07―13年)に入っている。
 インターレグは、ミクロレベルの国境を挟む地域間協力(インターレグA、略称CBC)、海・山・大都市を接合要素とする13のサブリージョンを対象とする国家枠を超えた協力(インターレグB)、マクロリージョンを対象とする広域地域間協力(インターレグC)、という3つのプログラムから成る重層的な地域空間政策である。III期についてみれば、64のプログラムを実施したインターレグAでは、スウェーデン・デンマーク国境のエーレスンド地域における産官学ネットワークによる医薬複合産業クラスターの形成、インターレグBでは北欧諸国・バルト3国・ドイツ北部などを含むバルト海沿岸地域における産官学の連携による知識基盤型クラスター形成の試み、インターレグCでは各地域におけるイノベーションの経験を伝達しあい相互学習する事業が注目される。
 要するに、EUの国境を越えた地域政策は、国家単位ではなく国境を越えた諸地域が発展の拠点となる知識基盤型経済への移行を促進する制度的テコとなっている。
 EUの地域政策の経験は事実上の機能的統合を実現している東アジア地域において知識基盤型産業クラスターの形成によって諸地域の競争力を確保するには国境を越えた地域政策が必要であることを示唆している。
(関西大学教授・若森章孝)

 EUの構造基金 EUの国境を越えた地域政策には欧州地域開発基金や欧州社会基金などの基金がある。これらの基金はEUにおける低開発地域の開発や長期失業者の就労促進などを目的に設置され、地域や地方が政策主体として参画できるシステムになっている。

②2008年01月30日 欧州雇用戦略に一石

欧州雇用戦略に一石

フレキシキュリティ論争

 EUではフレキシキュリティ論争が展開されている。EU、27の加盟国、社会的パートナー(経営者団体、労組)を巻き込む論争の仕掛け人は欧州委員会である。フレキシキュリティは日本ではまだなじみの少ない用語だが、フレキシビリティ(柔軟性)とセキュリティ(保障)を結合させた造語であって、労働市場の柔軟性(解雇規制の緩和)と所得・雇用保障とは対立的ではなく相互促進的であるというのが基本的な考え方である。欧州委員会は07年6月に「フレキシキュリティ共通原則」を欧州雇用戦略の新しい原則として提案し、この共通原則は12月上旬の欧州閣僚理事会で承認された。

雇用と競争に新方式

 欧州委員会は、共通目標(雇用率の上昇、労働生産性の改善、格差是正の促進)はEUレベルで定めるが、目標達成のための手段の選択(雇用政策)は加盟国に任せるという従来の欧州雇用戦略が高い失業率(ドイツ、フランス)や増加する非正規雇用(イギリス、スペイン、イタリア)にみられるような労働市場の構造的歪みをいっこうに解決していない現状を反省して、フレキシキュリティという共通原則に従って加盟国が共通目標を追求するように提案したのである。08年からの欧州雇用政策はこの新しい方式にしたがって雇用と競争の強化をめざすことになる。
 フレキシキュリティ共通原則は8つの原則から成っているが、とりわけ重要なのは第一原則の「雇用と成長のための戦略」を強化するための4要素、すなわち、(1)柔軟で信頼できる雇用契約、(2)雇用可能性を高める包括的生涯学習戦略、(3)失業から新しい職への移動を促進する積極的労働市場政策(技能訓練プログラムへの参加)、(4)所得支援・雇用促進・労働市場の流動性を連携させる現代的社会保障制度である。
 対照的に、欧州労働同盟は、フレキシキュリティ戦略の意図は企業による解雇の自由の拡大と雇用保障の解消であると考え、非正規雇用の拡大を強く警戒している。欧州経営者連盟は柔軟な労働法(解雇規制の緩和)を求める立場から、欧州委員会案を支持している。議論の争点は、柔軟性と保障は本当に対立的ではなくて相互促進的かに関連している。

欧州委員会4つのアプローチ

 欧州委員会は、労働側からの批判に答えるために、フレキシキュリティの4つのアプローチを提案する。第1のアプローチは、労働市場の分断に直面する南欧諸国(スペイン、イタリア)を対象とするもので、規制緩和によって急増した非正規雇用を労働法の改正によって正規雇用化することが提案される。第2のアプローチは、労働市場が硬直的で長期失業者が多い諸国(ドイツ、オーストリア)を対象とするもので、企業内のフレキシキュリティ(柔軟な技能の養成)を発展させることで職の移動保障を促進することが提案される。第3のアプローチは、低技能労働者が多く貧困率の高い諸国(イギリス、アイルランド)を対象とするもので人的資源への投資拡大によって技能格差の解消に取り組むことが提案される。第4のアプローチは東欧諸国を対象とするもので雇用機会の拡大と福祉依存体質からの脱却をめざす労働市場政策が提案される。
 EU加盟国は国内における労使の交渉を通じてどのようなフレキシキュリティ戦略を作り上げるだろうか。われわれは欧州雇用戦略の新展開から眼を離せない。
(関西大学教授 若森章孝)

フレキシキュリティ(flexicurity) 労働市場の柔軟性(解雇規制の緩和)と雇用・所得の保障を組み合わせ、職の移動、雇用保障、社会福祉を両立させる政策理念。労使交渉の伝統があるオランダとデンマークの経験から生まれた。

①2007年11月28日 社会民主主義のモデル:競争力上位占めた北欧諸国

社会民主主義のモデル:競争力上位占めた北欧諸国

 世界経済フォーラムが、10月31日に発表した『世界競争力レポート2007―2008』によれば、世界競争力ランキングトップ10は、1位のアメリカに続いて、スイス、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、フィンランド、シンガポール、日本、イギリス、オランダで、ほかには、韓国11位、中国34位、インド48位。注目は、市場主導型経済のアメリカと並び、高福祉・高負担の福祉国家のデンマーク、スウェーデン、フィンランドなどの北欧諸国が上位を占めていることだ。
 知識基盤型経済への急速な移行が今日、各国の課題だ。IT(情報技術)競争力の強化が重要だ。世界経済フォーラムが3月28日に発表した『世界のIT競争力ランキング2007年』によれば、IT競争力ランキングトップ10は、1位のデンマークに続いて、スウェーデン、シンガポール、フィンランド、スイス、オランダ、アメリカ、アイスランド、イギリス、ノルウェーで、ほかには、香港12位、台湾13位、日本14位、韓国19位となっている。
 以上の2つの世界競争力ランキングから言いうることは、ITの生産と利用に基づく知識基盤型経済には、アメリカやイギリスなどの市場主導型モデルとデンマークやスウェーデンなどの社会民主主義モデルがあることだ。日本や韓国は市場主導型モデルだけを参考にするのではなく、社会民主主義モデルの比較制度的優位も十分に研究して、自国経済に適合的な知識基盤型経済の制度的基盤の確立に努める必要がある。
 フランスのレギュラシオン学派、ロベール・ボワイエの新著『ニュー・エコノミーの研究』によれば、アメリカ、アイルランド、オーストラリアなどのシュンペーター・モデルが労働市場の規制緩和、知的所有権の保護、最高の学歴と才能の持ち主による根本的イノベーション(新技術や新製品の開発)によって特徴づけられるのに対し、デンマーク、フィンランド、スウェーデンなどの社会民主主義モデルは高レベルの教育水準と職業訓練、中程度の雇用保護、漸進的イノベーション(製品や生産方法の漸次的改善)によって特徴づけられる。シュンペーター・モデルが知識の私有化に立脚するのに対し、社会民主主義モデルは知識の広範な社会化に立脚する。ボワイエによれば、社会民主主義モデルの高い経済的パフォーマンスは、知識基盤型の経済成長にとって重要なのは情報通信技術の生産それ自体ではなく、むしろそれを社会的に活用する制度的仕組みであることだ。
 ボワイエが知識基盤型経済の社会民主主義モデルの典型として注目するデンマークは、欧州イノベーション・ランキングで上位を占める。05年度の欧州イノベーション・ランキング上位圏は、1位のスウェーデンに続いて、スイス、フィンランド、デンマーク、ドイツ、オーストリア、イギリスなどだった。
 デンマーク政府は06年5月、「グローバル経済におけるデンマークの戦略」という副題の『進歩、イノベーション、結束』を発表し、研究開発投資の対GDP比や高等教育機関の修了者の比率を高め、競争力強化と高水準の福祉を両立させる政策を提唱した。戦略をまとめたのは、ラスムセン首相を議長として、05年4月にスタートしたグローバリゼーション協議会だ。イノベーションや新技術の利用についてコンセンサスを獲得する社会的仕組みを持つのが、デンマークの強みだ。
若森章孝(関西大学教授)

知識基盤型経済 21世紀は、知識社会(知識基盤型社会)や知識経済(知識基盤型経済)の時代と言われている。新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめとするあらゆる領域での活動基盤の重要性を意味する。変化の時代に適応するための学習の必要性が、個人・企業・従業員などに求められている。