研究活動

大学と大学教育

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6 21世紀の航海に船出する人へ
――聞き上手・つなぎ上手・孤独上手が進化力を生む――

21世紀の航海に船出する人へ
――聞き上手・つなぎ上手・孤独上手が進化力を生む――

 リスクと不確実性に満ちた21世紀の荒海に船出しようとしている卒業生のみなさんに、「卒業の日が自分作りの出発点である」というメッセージを贈り、お祝いの気持ちを伝えようと思います。
 今日は、社会のさまざまな要素の相互作用が多様かつ活発になっていますので、思いもよらない出来事がしばしば起こります。「会社は永久なり」の代表のような存在であった大きな銀行や企業、百貨店の倒産・廃業は、思いもよらない出来事の例です。このような複雑で不確実な環境の中での「自分作り」は容易ではありません。というよりも、「自分作り」に一度成功すればそれで一生やっていける時代は過去のものになってしまったので、21世紀の人には環境の変化に適応して何度も「自分を作り直すこと」が必要になります。
 そのような「自分作り」には、絶えず自分を進化させていく力が不可欠ですが、聞き上手・つなぎ上手・孤独上手の人はこの進化力を育てるのが上手だと、長年の人間観察から思っています。進化するためには、環境の多様性と変化に敏感でなければなりませんが、聞き上手の人は多様性を自分の中に取り込むのが得意です。少しずつ進化しながら時代の変化に適応している友人を見ると、「聞き上手は生き方上手」を実感します。つなぎ上手の人は、一見無関係な要素どうしをつなぐことによって新しい相互作用を作り出すという進化力の持ち主で、新たな論点やプログラムを作るのが得意です。しかし、これからますます「社会の個人化」が進むために、「一人の時間」を楽しむ能力がその人のアイデンティティを再定義(自己組織化)するうえで大切になるように思われます。それゆえ、孤独上手であることが、思いがけないことが起きる世界を航海する人の安全網の一つになると思います。
 21世紀の人であるみなさんが、それぞれの希望を実現され社会の進化に寄与されることを期待しています。  Bon voyage!

5 「第三の知識」が学生の自治活動を元気にする 『経済学会自治会会報』2003.4

「第三の知識」が学生の自治活動を元気にする

 新しい時代は新しいアクターやコミュニケーション媒体を出現させるとともに、古くからのアクターにリニューアルを要請しています。大学が社会との関係で大きく転換しつつある今日、古くからのアクターである学生の自治活動のテーマや意志疎通のための言葉や媒体も大きな変化に直面しているのではないでしょうか。
 関西大学の一般入試(A日程とB日程)は年々難しくなって、7割以上の成績をとらないと合格できないほどです。しかし、入試成績のレベルが上がるのと対照的に、ゼミ活動や授業、学生の自治活動やクラブ活動の「盛り上がり」は低下しているように思います。教師の側もどうすれば学生の意欲や関心に触れる授業をおこなうことができるか、について色々と工夫しています。例えば、学生による授業評価やテーマ学習中心の授業(ゼミナール)などが設けられています。自治会活動の執行部の人も一般学生の「盛り上がり」の低下に苦労しているように見受けられます。クラスやゼミ、クラブやサークルでは、コンパを盛り上げるための媒体として「一気飲み」が利用されていますが、これは安易な盛り上げ手段であり、危険この上ないやり方です。
 どうすれば大学全体を活性化させ、授業や学生の自治活動を盛り上げることができるでしょうか? 万能の解決策はありませんが、大学のすべての構成員が「第三の知識」に関心をもち、これを身につけるようにこころがけるならば、大学は元気になり、授業も自治活動も盛り上がると思います。社会には、法律家や医師がもっているような専門的知識が不可欠です。普通の人はこの専門的知識を信頼して暮らしています。普通の人は仕事や日常生活に必要な知識(運転免許)に関心をもっていますが、自分の狭い守備範囲を越えるような知識に関心を寄ることはあまりありません。しかし、共通の関心がなければ、社会はばらばらになってしまいます。すべての人が自分の関心の範囲を今よりも少しだけ広くして、他の人のもっている関心や知識や問題意識に興味をもつようになるならば、つまり「第三の知識」に関心を寄せるようになるならば、社会は元気になると思います。
 転換期にある大学においても、大学のすべての構成員、とりわけ学生諸君がこの第三の知識に注目するようになるならば、授業や学生の自治活動はおもしろくなり元気になると思います。この第三の知識の重要性を認識する手がかりとして、①年上の人(教師、先輩、両親)と徹底的に討論すること、②クラスやクラブ、ゼミなどで安易に多数派に同調せず、自分なりの意見や考えを捨てないで持ち続けること、③言葉を理性的に操作する基本的スキル(書く力、話す力)を身につけること、などがあります。

(『経済学会自治会会報』2003.4)

4 「大学経験」の場としての演習
――例えば、「つなぐ」ということの大切さ――
平成15年度『経済学演習履修要項』

「大学経験」の場としての演習
――例えば、「つなぐ」ということの大切さ――

 経済学部に入学してくる学生のうちのどれだけが「大学でしか得られないもの」を経験し身につけて卒業していくのか、ふと不安になることがあります。大学でしか得られないものとして、専門的知識や卒業資格(学位や各種の免許状)のような客観的なものだけでなく、それまでの自分の考え方や価値観を揺さぶるような問題や本、友人との出会いから生まれる「大学経験」があります。「大学経験の不在」の例として、四回生になって就職活動をしている学生が会社の人事担当者の「4年間の大学生活で得たものは何か」という質問に、「それはアルバイトで身につけた忍耐力と協調精神です」と答えるようなケースを考えています。「受験勉強の時とはまったく異なる経験をして、新しい自己を見つける」場は大学生にとってもはや大学の外にしかない!、と無力感を覚えることもあります。
 大学の教師にとって、演習(ゼミ)はこのような無力感に挑戦する場です。言い換えれば、学生諸君は自分が選択したゼミでの2年間の研究と討論を通じて、問題や本と出会い、新しい自己を見つけることが期待されています。青年が複雑で広い世界を知り自分なりのコアを作っていくうえで、①年上の世代の人達と深い対話をする、②同世代の人達と経験を共有する(心を開ける友人ができる)、③本を読むことで新しい世界や考えを知る、④外国語を学ぶことを通じて異文化体験をする、などが手がかりになると思いますが、対話と問題発見の場としてのゼミは、これらの手がかりを多く含んでいます。みなさんには、年上でやや頑固なコアをもっているが意外に「聞き上手な」ゼミの先生と、たまには一対一でじっくり議論する経験をもってもらいたいと思います。
 しかし、ゼミが大学経験の場、おそらくそのもっとも重要な場になることができるのは、約20人のゼミ生の一人ひとりが発表や討論に積極的に参加してゼミが盛り上がることを通じてです。ゼミ・コンパでの「一気のみ」によって盛り上げるというやり方は、避けてほしいと思います。では、どうすればゼミは盛り上がるのでしょうか? 一人ひとりが上手に「つなぐ」仕事ができれば、盛り上がります。例えば、ゼミの発表のとき、報告者が言いたいことを引き出すようなうまい質問をする、一つの質問に関連する質問をする、まったく違うように見える意見を関連づけるような議論をする、等々のことがおこなわれると、ゼミの議論は盛り上がってきて、楽しくなります。20人の個性をうまくつなげることができるかどうか――これは教師とゼミの学生にとっての大きな挑戦です。

(平成15年度『経済学演習履修要項』)

3 大学で求められる知的能力の水準はどれぐらいか 『経済学会報』第23号、2002

大学で求められる知的能力の水準はどれぐらいか

 小中学生の学力低下と並んで、大学生の学力低下が話題になっている。授業を含む一日の大学生の学習時間が約2時間50分で小学生よりも短いという最近の調査もあるので、学力の低下は大学教育においてより深刻な問題である。国公立の大学は入学試験の科目を増やすこと(いわゆる多教科入試)で、入学者の学力低下に歯止めをかけようとしている。関西大学でも、S日程(国語、英語、社会、数学の4教科入試)やB日程(国語、社会、数学から構成される基礎テストを含む)のような多教科入試を実施して、合格者の入学後の学習意欲や成績に関心を寄せている。
 しかし、大学生の学力低下は、大学入試の改善や見直しだけで解決することはできない。入学後における学習の動機づけの仕組み、講義やゼミナールでの大学教育の質、学生の受講態度や読書量などが、重要な要因になってくる。「平成13年度学生生活実態調査」(『関西大学通信』2002年7月16日号)によれば、大学生活の目的について「専門的な知識や高度な技術を修得する」と答えた学生の割合は、第1部では工学部(51.3%)、法学部(34.9%)に対して経済学部は11.0%ともっとも低く、「学生生活を通して青春をエンジョイする」と答えた学生の割合は経済学部でもっともも高く、28.1%となっている。また、「豊かな教養を身につける」と答えた学生の割合は第1部では文学部が36.7%ともっとも高く、経済学部は27.4%と低くなっている。要するに、「学生生活実態調査」からは、将来に備えて専門的知識や豊かな教養を身につけるよりも、現在の生活をエンジョイしている経済学部の学生像が浮かんでくる。
 この調査は経済学部の学生の学力の低下を示唆しているのだろうか? そうだとすれば、「大学生が青春をエンジョイするとは、将来に備えて専門的知識や技能を修得することであり、読書や議論を通じて豊かな教養を身につけることだ」と考える者にとって、ゆゆしき事態が存在していることになる。大教室での講義が多く、教師と学生との、また学生相互での対話や議論が十分でなく、入学後における経済学部での学習の動機づけが弱いことが、多くの学生の現在への埋没の背景にあるのかもしれない。
 ここで、学習の動機づけになることを期待して、「大学で求められる知的能力の水準」を考えてみたい。

1. 読書量のチェック
(1) 講義のテキスト以外に、社会科学の新書を3冊以上読んだことがあるレベル(1点)。
(2) 月に1冊の新書を読むレベル(2点)。
(3) 2週間に専門書を100頁ぐらい読むレベル(3点)。 

2. 文章力のチェック
(1) 入学してから、エッセイや読書の感想文を書いたことがあるレベル(1点)。
(2) 4,000字以上の「小論文」を書いたことがあるレベル(2点)。
(3) 400字×60枚以上の論文(例えば、経済学会の学生懸賞論文)を書いた経験があるレベル(3点)。

3. プレゼンテーション能力のチェック
(1) 同じ学年の友達と専門的な話題を5分以上会話できるレベル(1点)。
(2) ゼミ(演習)で積極的に発言や質問をすることができるレベル(2点)。
(3) 的確な質問や応答で議論を盛り上げることができるレベル(3点)。

 経済学部の学生は、読書量や文章力、プレゼンテーション能力のレベルを卒業までにはすべて(3)のレベルに達していることが望まれる。ゼミに入る段階では、少なくとも各能力とも(2)のレベル(計9点)に達している必要がある。 わたしはこのように考えるが、学生のみなさんはこの基準を厳しいと思うだろうか、それとも易しいと思うだろうか。
 最後になりましたが、来春の3月で退官される原田聖二教授と守谷基明教授に謝意をのべたいと思います。お二人とも、40年の長きわたって母校、関西大学経済学部の研究と教育の発展のために尽力され、多くの優秀な学生を育てられました。原田教授は「両大戦間のイギリス経済史」の研究で知られ、社会経済史学会で活躍されました。守谷教授はボールディングの経済政策論や地域経済政策の研究に貢献され、日本経済政策学会で活躍されました。両教授に敬意と感謝を表する次第です。

(『経済学会報』第23号、2002)

2 21世紀の経済学教育をめざして
――「高い基礎能力」こそ究極のキャリア形成――

21世紀の経済学教育をめざして
――「高い基礎能力」こそ究極のキャリア形成――

 1904年に創設され2004年に100周年を迎える関西大学経済学部は、産業界や公共的分野のリーダーとして活躍できる人材の形成をめざして、21世紀の経済学教育を推し進めています。
 21世紀は「学習経済」とか「知識集約経済」と呼ばれていて、絶えず自分のスキルや知識を向上させることが期待され求められるような時代です。22歳頃に就職し65歳前後で退職するまでの約40年の間、21世紀にキャリア形成をする人たちは自分の能力や付加価値を高めなければならないだけでなく、別のスキルや職に転換する要請にも直面するはずです。このような学習経済のなかで生涯にわたって「自立」するためには、「高い基礎能力」を身に付けることが必要です。
 高い基礎能力の習得は、一度かぎりの受身の学習ではなく、いわば「学習の仕方を学ぶ」ことです。この能力は、①状況の的確な把握と理解、②問題の発見、③複数の解決方法の文章化、④解決方法の説明力と表現力、という4つの要素から成っています。経済学部の昼夜開講制のカリキュラムは、このような高い基礎能力の形成へと誘うものです。
 ではどうすれば、21世紀に必要な高い基礎能力が身につくのでしょうか? まず講義に出て教師の話をしっかり聴き、ノートをとること、そしてテキストや参考書を正確に読むことが必要です。このような「勉強」は大切なことですが、これだけでは不十分です。レポートや卒業論文を書くこと、書く経験を繰り返してもつことが重要です。経済学部では1回生から4回生まで、書くためのスキルを身に付けるチャンスを意識的に設けています。例えば、4回生には書くスキルの仕上げとして「卒業論文」の執筆を奨励しています。しかし、これだけではまだ十分でありません。書いたことや考えたことを発表する、議論するというスキルが必要です。経済学部では、1回生の「経済学ワークショップ」や2~4回生の「演習」などでの討論や質問を通じて、学生諸君が「知の創造の過程」に参加して「考え説明する力」を身に付けることをとりわけ重視しています。
 「学びて思わざれば暗し」という有名な言葉があります。学ぶだけでは不足であって、思う(考える)ことが不可欠だ、という意味です。講義に出ることは「学ぶ」ことに、書いたり議論することは「思う」ことにあたりますが、高い基礎能力を獲得するには、学ぶことよりも思うことを意識的にする必要があると考えています。経済学部生には、「4つ」勉強したら「6つ」考えるような思考実験をやってほしいと思っています。学問で養った「高い基礎能力」こそ、21世紀の究極のキャリア形成である、と考えているからです。

1 learn and unlearn の場としての大学 『大学 Kansai University』1995

learn and unlearn の場としての大学

unlearn のすすめ

 unlearn は「学ばない」ことを意味するのではなく、いままでの学習の仕方や練習のやり方を変え新たに学び直すこと、従来の考え方を振りほどき新しい考え方を身につけることを意味します。learn and learn が上手で、成績のいいひとや「有名大学」に合格したひとほど、高校や予備校のときの学習の仕方から抜け出るのが大変ですので、それだけ unlearn することはシンドサをともなうと思います。成績の悪かったひとの方が unlearn を比較的容易にやれるとも言えます。いずれにせよ、大学生活はこの unlearn することからはじまるのです。
 教師である私たちは、「いいコーチになって」みなさんの unlearn をサポートしたいと考えていますが、みなさんの方でも「自分の悪い癖を直し、潜在能力を引き出してくれる」コーチを見つける努力をしてください。しかし、教師だけがコーチというわけではありません。先輩や友人、本の一文章や映画の一場面がコーチになることもあります。大学生活は何よりも、このような learn and unlearn の繰り返しから作られると思います。

頭よりも眼を

 ここで unlearn の方法を考えてみましょう。それまでうまくいっていた思考パターンや行動パターンが良い結果をもたらさなくなると、「ワン・パターンになっている」と言いますが、そのようなときが unlearn のチャンスです。しかし、従来の思考パターンが根強く残っていますので、社会や世界の新しい変化は例外や雑音として理解され、チャンスの到来は見過ごされてしまう場合がよくあります。古い考え方に支配されている「頭」にまかせておいたのでは、古い考え方を振りほどき、新しい考え方を作り出すことはなかなかむつかしいのです。そこで、「見る」という働きをする眼や「聴く」という働きをする耳が重要になってきますが、以下では、眼に焦点を当てて考えることにします。
 眼が本来の働きをするならば、新しい変化や動向を無視している頭に訂正をせまり、古い考え方の見直しを要求します。だがたいていの場合、眼は頭のしもべですので、外国旅行で自分の価値観をゆさぶるような異質な他者に出会っても、また読書や映画・テレビで新しい動向を目撃しても、眼はこれらを見過ごしてしまい(見れども見ずのマンネリ状態)、眼が頭に反乱を起こし訂正を求めることは稀です。つまり、眼は日常的には曇ってしまっているのです。私たちは眼を頭の支配から解放し、「私は見る」という眼の本来の働きとそれがもたらす「情報」の重要性を認識する必要があります。ビデオ(video)には「覆いを取り払って、私は見る」というラジカルな意味が含まれています。眼や情報はつねに unlearn の母だと思います。
 価値観や生活様式や制度のすべてが変容しつつある世紀末の今日、「見る」という能動的行為を意識的にやることの意味はかつてないほど大きくなっています。「私は考える」という頭の働きの出番を用意するためにも、「頭よりも眼を」という姿勢の堅持を強調しておきたいと思います。

21世紀を「環境の世紀」に

今日の私たちがいちばん unlearn しなければならないのは、地球環境の利用の仕方です。二酸化炭素による地球温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、窒素酸化物・硫黄酸化物による酸性雨といった「地球環境問題」は、人間の経済活動が自然の浄化能力と衝突し、この浄化能力を衰退させていることを示しています。環境問題は、経済を優先し、ひたすら効率・便利さ・快適さ・スピードを追求した21世紀の「負債」であると言っていいでしょう。企業も消費者も、大学も政府も国際機関も、従来のやり方や基準を見直し、これまでの考え方を振りほどき、新しいやり方・考え方を考案する必要に迫られています。
 1987年にブルントラント委員会の最終報告書(Our Common Future)で提起された「持続可能な発展」はそのような新しい考え方で、そのポイントは「将来世代の環境利用権を奪わないかたちで、現在世代は環境を利用しなければならない」という点です。地球環境の持続可能な利用の仕方は、人類の知的遺産をストックしている図書館のそれに似ています。図書館の豊富な蔵書や資料を十分に利用し自分を豊かにすると同時に、1ページも汚したり傷つけたりすることなくそれらの知的遺産を、できることならほんの僅かでもその価値を高めて次の世代に譲り渡す――というのが図書館利用のルールですが、同じようなルールが地球環境にも設定される必要があります。
 きたる21世紀が「経済の世紀」の延長ではなく「環境の世紀」として発展していくための第一歩は、すべてのひとが自分のライフスタイルを unlearn し、図書館の知的共有資産に接するのと同じような態度で地球に接することだと思います。

(『大学 Kansai University』1995)